Kills for Death
シンは、アスランの部屋の前に立っていた。
もう、深夜だ。
通路には、誰もいない。
昼間、あいつに殴られた頬が痛い。
顎ががくがくして、歯を食いしばると、ズキンと痛みが増した。
俺は、フリーダムをやった。
ステラを殺した奴をやった。
戦場を混乱させ、ミネルバの主砲をふっ飛ばして多くの死者を出し、ハイネが死ぬ原因をつくった奴をやった。
彼のＭＳを、バラバラにした奴をやった。
強大な敵を、やったんだ。
なのに、なんで殴られなきゃならない。
彼が、先の大戦で、あのＭＳと一緒に戦っていたという話は聞いている。
でも今、あれは敵だったんだ。
今、あんたはザフトなんだ。
キラがどうとか喚くんじゃねぇ。
よし。
言ってやる。
そう勢い込んで、シンはドアを開けた。
ドアを開けて・・・立ち竦んだ。
立ち竦んで、しまった。
明かりのともされて灯されていなかった空間を、ドアからの光が激しく切り裂いていた。
その光が、ギリギリに届く位置。白いブーツのつま先だけに光を反射させながら、アスラン・ザラが、頭を垂れて座り込んでいた。
「何やってんですか、あんたは！」
その姿を見ると、言葉など吹き飛んだ。
何が英雄だ。
何がエースだ。
こんな。
こんな弱い奴が。
なんで、ＭＳなんかに乗っていたんだ。
「何やってんだって聞いてんだよ！」
つかつかと歩み寄り、自分と同じ色の襟首を掴み上げる。
そこで、彼はやっとシンの存在に気づいたようにゆるゆると頭をめぐらせた。
光を失い、闇に沈んだ暗い瞳。
そこから、流れ落ちた涙が。
顔を上げたせいで、ひと筋こぼれて。
形良い顎を伝い、一瞬、光って落ちる。
「っの！」
衝動を殺すのは不可能だった。
気が付くと、そいつの腹に、ブーツのつま先がめり込んでいた。
「ぐっ」
苦しげにうめく声が聞こえ、それから意思を取り戻した翠の瞳が、凶暴なまでに光を宿して、シンを激しく睨む。
「何をするんだ！」
体勢的に、シンの方が絶対に有利なはずだった。
それなのに、臑に痛みを感じた瞬間から、腹に拳を食らってひっくり返るまで、まったく動けなかった。
「何泣いてんですか！」
シンも、頭に血が上っていた。
まだ膝立ちだったアスランが、体勢を立て直す前に殴り飛ばす。
ベッドに上半身を引っ掛けた彼は、しかしすぐさま殴り返してきた。
ドアはとうに閉まっている。
止める者は、誰もいない。
「敵をやってっ！何が悪いんだ！！」
「キラは敵じゃない！」
「敵だろ！強敵だった！！」
「あいつがお前を殺そうとしたか！？」
「現に何人も殺されただろ！！」
「うるさい！」
殴って、殴られて。
蹴って、蹴り返され。
こんな無茶苦茶な殴り合いをしたことなど、シンは初めてだった。
胸に当たった拳に息が詰まり、肉を打つ衝撃に、血が熱くなる。
「あんたが何喚いたって変わらない、あいつは俺がやったんだ！！」
そう叫ぶと、奇妙な爽快感が胸を駆け抜けた。
そう、俺はあいつに勝ったんだ。
あの、伝説のＭＳに。
しかし、その言葉が、アスランの何かを、壊した。
「そうだ。・・・・そうだ、お前がキラを！」
立ち上がりかけたシンの足が、再び蹴り付けられ、転ばされる。
やばいと思ったときはもう、圧し掛かられたまま、拳を受けることは避けようもない状況になっていた。
異様な光を宿した瞳が、目の前に迫り。
そうして、シンは身を竦ませた。
ぎらぎらと光る、翠の瞳。
そこに宿る、本物の殺意。
ＭＳ越しにではない。
生身の。
抜き身の。
シンを、殺そうという。
命を奪おうという、強い、つよい意志。
怖い。
恐怖に、全身が強張った。
たす、けて・・・
しかし、シンにはもう。縋る相手など、いない。
がっ！と、耳元で激しい音がした。
床に、拳が叩きつけられた音だと。助かったのだと、気づく前に。
喉元に、熱いものが押し付けられていた。
「でも、キラは・・・キラはぁっ！」
軍服の襟が、濡れていくのがわかる。
熱いのは。
彼の額。
彼の吐息。
彼の、涙。
「キ・・・ラ・・・・ぁ」
「ふ・・・ざけんな！」
腹を蹴り上げ、やっとのことで体の下から這い出すと、シンはもう一度、アスランの頬を殴りつけた。
先ほどの恐怖が抜けず、力が入らなくなっていたのと、彼の涙で拳が滑ったのとで、体勢を崩してつんのめる。
「っつ！」
その人に膝の上に頭から突っ込み、しかし、力を失っていたのは彼も同じなのだろう、そのまま、報復もされずに。
「キ・・・ラ。キラぁ・・・・」
アスランはシンを膝に乗せたまま、フリーダムのパイロットの名を呼び続け、泣いていた。
闇に慣れた目に、その涙が光って見えて。
シンは、慌てて頭を振った。
「その、キラって奴、あんたの何なんですかっ！」
口の中がざくざくに切れている。しゃべるだけで血があふれ、シンは唾と共に、それを床に吐き出した。
「家族・・・だ。俺の、もう、たった一人、の」
アスランの言葉に、シンは絶句する。
思わず見上げた瞳に、あのぎらつく光はなく。
そこから流れる涙は、しずしずと闇に落ち。
ただ、弱い。
弱い人間が、そこにいた。
「兄弟みたいに、育った。違う。兄弟、だった。ずっと、一緒で。ずっと、一緒だと、思って、いたのに・・・・」
それは、もう遠い過去。
つらい戦争に、薄れかけた記憶。
でも。
それでも。
「キ、ラ・・・・ぁ」
それはアスランに残された、たったひとつの。
たったひとりの、家族、だったのに。
泣き続けるアスランの声を、シンはただ、呆然と聞いていた。
こんな慟哭を、シンは知っている。
何よりも大切なものを、理不尽に奪われた悲しみだ。
守れなかった己の胸を、めちゃめちゃに壊す、あの叫びだ。
何にも癒せない、何にも救えない。
ただ、己を苛み続ける。
あの時の、俺と、同じ。
アスランの腕がふい、と上がり、シンはびくりと身を竦ませた。
たった味わった恐怖は、まだ、シンの中で生々しく生きている。
しかし、その手は。
シンを傷つけることなく。
その肩を抱き。
きつく、抱きしめ。
彼は、錯乱しているのだと、シンは思った。
でなければ、大切な人を殺した相手を、こんなふうに抱きしめることなどないと。
少なくとも、シンならば、しない。
シンならば・・・
「殺さないんですか、俺を」
ステラを殺したあいつを、殺してやった俺のように。
そう問うシンに、返る声は涙にかすれ。
「お前を、殺せば。あいつが、戻るのか・・・・」
そう言っただけで、アスランは。
シンを抱きしめる力を、強くして。
絞め殺されそうな圧迫に、シンは、どこか安堵した。
そのまま、二人。
闇の中。
ただ、じっと、朝を待った。
否応なく、立ち上がらなければならない時間を。
ただ、待っていた。